大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和63年(行ク)51号 決定 1991年5月23日

申立人

中央労働委員会

右代表者会長

石川吉右衞門

右指定代理人

萩澤清彦

布施直春

小野寺幸夫

日向栄

申立人補助参加人

ノースウエスト航空日本支社労働組合

右代表者中央執行委員長

小室孝夫

申立人補助参加人

藤田順一

右各申立人補助参加人訴訟代理人弁護士

山本政明

安原幸彦

大槻厚志

山田安太郎

中丸素明

被申立人

富里商事株式会社

右代表者代表取締役

アレン・ダブリュウ・ジョンソン

右訴訟代理人弁護士

中山慈夫

中町誠

主文

本件申立てを却下する。

理由

一  本件申立ての趣旨及び理由は、別紙(一)記載のとおりであり、本件救済命令の内容は別紙(二)(略)、(三)(略)のとおりである。

二  そこで、被申立人が補助参加人藤田の解雇理由とした点について検討するに、本件及び東京地方裁判所昭和六三年(行ウ)第一一九号不当労働行為救済命令取消請求事件(本案事件)の記録によれば、次の事実が認められる。

一(五・五事件について)

(一)  昭和五五年五月五日午前五時から、被申立人の団体交渉拒否や春闘要求書の返却と無回答に対する抗議等の趣旨で、補助参加人ノースウエスト航空日本支社労働組合(以下「補助参加人組合」という。)による終日のストライキが実施され、早朝から組合員らが成田インターナショナルホテル<住所略>。以下「ホテル」という。)の構内に順次参集した。補助参加人藤田は、午前七時三〇分ころ、ホテル構内に到着してこれに加わった。同日午前七時ころには、補助参加人組合のストライキ実施の連絡を受けた吉開楯彦総務部長が出社し、同日午前八時ころには、友野博司総支配人がオートバイで出社した。

友野総支配人は、ホテル構内に入ると、そのままオートバイでホテル別館の幹部宿舎(アネックス)に入ってゆき、ホテル構内に集まっていた組合員らは、友野総支配人を追いアネックスの南西側にある玄関前に行ってその呼び鈴を鳴らして面会を求めたが、友野総支配人はこれに応じなかった。間もなく、補助参加人藤田を含む一部の組合員は、アネックスの北東側に行き、アネックスに向かって「友野出てこい、友野出てこい。」と声をそろえて大声で呼び、中には酒が入ってあき缶を叩いて調子を合わせている者もいた。

友野総支配人の出社と組合員の様子をホテル本館近くで見ていた吉開総務部長は、一旦ホテル本館に戻ろうとしたところ、組合員が騒いでいるので至急ガードマンを寄越すようにという友野総支配人からの電話連絡があったことを聞き、自らもアネックスに向かった。吉開総務部長が、アネックスの北東側にいた組合員らに近づいて行くと、組合員の方も吉開総務部長を認め、補助参加人藤田ほか約一〇人の組合員が吉開総務部長を取り囲み、吉開総務部長が騒がないよう注意するのに対して、こもごも被申立人側の対応についての不満から「雑務部長」などと罵りながら同総務部長に対して交互に体当たりをした。補助参加人藤田は、他の組合員と共同して右体当たりを行ったものである。

(二)  間もなく、友野総支配人が本館に向かうためにアネックスの玄関から出てくると、これに気づいた組合員らは、吉開総務部長に対する囲みを解き、友野総支配人のところに行って、その進路を塞いで取り囲み、前同様に罵声を浴びせながら、肩で友野総支配人の胸を押すなどの暴行を加え、その結果、友野総支配人は金網のフェンスに押しつけられたり、よろめいたりした。補助参加人藤田は、他の組合員と共同して右暴行行為をしたものである。

(三)  組合員らは、同日正午ころから約一時間ホテル構内で集会を開いた後、団体交渉申し入れと春闘の要求をすべく、約三〇人程でホテル従業員出入口に行ったが、同出入口は施錠されていて応答がなかったため、ホテル玄関に回った。しかし、被申立人側が玄関も施錠していたため、玄関のガラス越しに、組合員らは内部に向かって面会を求め、内部からは吉開総務部長がハンドマイクで退散するように命じ、相互に怒鳴り合う状態が続いた。その後、佐藤工補助参加人組合ホテル支部委員長が茶封筒をかざして、渡す文書があるから受け取るよう言ったのに対して、吉開総務部長が「文書を渡したいなら、郵送してもいいし、ドアの下から差し入れればいい。」旨答え、組合側が反発するという経過を経て、団交申入れ書を受け取るため、吉開総務部長が前記従業員出入口に回った。

午後二時過ぎころ、吉開総務部長が従業員出入口から一人で外に出て、玄関から回ってきた佐藤支部委員長、小川良一同支部副委員長(ただし、当時は小松三夫がそれを代行していたことが窺われる。)、小松三夫(ただし、支部副委員長を代行していたことが窺われる。)らを先頭とする組合員らと従業員出入口外の階段の上で出会うと、右佐藤、小松、小川らは、同総務部長を壁に押しつけて取り囲んだ。組合員らは、吉開総務部長が専ら文書を出すように言うのに対して、同総務部長の左耳元に口を近づけて大声を出したり、これまでの経過について謝罪しろと言ったりしたが、補助参加人藤田は、この間に吉開総務部長を取り囲んでいる組合員の肩越しに割り込んで同総務部長に顔を近づけて同人の顔面に唾を吐きかけ、同総務部長が「何をするんだ。」と言うと、「唾ぐらいならいくらでもやらあ。」などと言って再度唾をかけた。

二(五・六事件について)

昭和五五年五月六日も、前日同様、終日のストライキが行われ、組合側は、当初、一旦前記従業員出入口に行って警備員を通じて内部に面会を求めたものの、拒絶されたため、ホテル玄関前に支援者を含めて約四〇人で集まり、シュプレヒコールで気勢を上げるなどしていた。被申立人側は、引き続くストライキのため、当日の予約客一〇〇人以上を他のホテル等に受け入れてもらったり、一般の宿泊、飲食客の利用を断る掲示を出したりするなどの処置をとった上、玄関を施錠して、内部から退去を求めるという対応をしていた。

高田剛は、客室部ベルキャプテンで、宿泊客の案内、チェックイン・チェックアウトの際の手荷物の世話、空港等への送迎バスの手配などを業務内容とするベルボーイとドライバーの上司であるが、同日午後五時過ぎころ、空港からの出発便の乗務員約一五人を外部からのチャーターバスで空港に送るため、組合員らのいる玄関からでなく、ホテル本館建物脇のプールへの出入口から、玄関前の車寄せに停車させた右バスのところまで乗務員を案内したり、荷物を運んで右バスにのせたりする作業を他の従業員らとともに行った。当時、組合側は特別の行動中ではなく、三々五々組合員がロビーやその脇のレストランの外部の建物縁石等に腰掛けたりしている状態であった。作業を終了した高田が、午後五時四〇分ころ、チャーターバスの運転手に対して発車するよう指示をし、右バスが発車し、これを見送ろうとしていたところ、突然、補助参加人藤田は、高田の後方から同人の背中にぶつかった。

その後、補助参加人藤田が高田に飛びかかり、続いて同人を含む組合員らが高田を取り囲んで、共同して、高田に対して肩などで小突いたり、つかんだりする暴行を加え、その結果、同人に対し、全治約一週間を要する右眼窩部・両上腕部打撲、右側腹部擦過傷の傷害を負わせた。

三(五・二一事件について)

昭和五五年五月二一日当時、補助参加人組合は、組合員が被申立人の管理職員らからいわゆる脱退工作を受けた場合には直ちに時限ストライキに入るという方針をとっていたところ、同日午後三時三〇分ころ、藤田が前記高田剛らから、組合から脱退するように勧奨されたため、同日午後四時から二〇分間の時限ストライキに入った。

当日はホテルは平常営業中であり、ロビー内にも宿泊客がいたが、同日午後四時ころ、藤田を含む組合員約一〇人は、ホテルのロビーの玄関入口付近で入口を背にして座り込みを始めた。そこで、吉開総務部長は、組合員らに対して、ロビーでの座り込みは営業業務の妨害になるので退出するようにと繰り返し指示した。吉開総務部長はじめ松井一久総務係長ら管理職員は、宿泊客のいるロビー等のいわゆるゲストスペースから従業員出入口の方へ組合員らを退去させようと考えていたところ、組合員らは、吉開の指示に対して「雑務部長」などと罵言を口にして当初は中々指示に従わず、その後暫くして立ち上がると、管理職員とガードマン(いわゆる警備保障会社からの派遣警備員であるが、実質は付近の農家等の中高年者がホテル構内の見回り等を主たる業務として派遣されてきていたにすぎない。)に囲まれながらゆっくりと促された方向に移動し始めた。途中、藤田は、フロントカウンターの前で、もう少し営業の邪魔にしてやろうと思い、「この辺は居心地がいいからもう少しいようや。」などと言って、再度その場に座り込んでみせたりした。その後も、組合員の退出の動きが遅々として進まず、ロビーから客室への階段に向かう通路の方に曲がった付近にかなりの時間滞留し、ガードマンには退出を促す積極的な言動がなかったため、吉開総務部長がその付近で「早く退去させるように。」と言うなどし、松井総務係長も組合員らに退出を促していたところ、藤田は、「退去させるというのはこういうふうにやるんだ。」と言いながら、同人の前にいた松井総務係長を胸で押して一気に数メートル奥の煙草自動販売機のある付近の壁際まで押し込んだ。組合員と管理職員らの集団はこれに従うようにして奥へ移動したが、そこで再び停滞し、組合員と管理職員の言い合いが続くまま徐々に元の方向に戻り、やがて集団の中心が通路の中央部付近のフロントオフィス出入口前に至った。

ところで、その当時、入社して一か月に満たなかった宮田光重が、被申立人の調理長であったが、同人は、前調理長と料理法が異なるなどの事情もあり、また、組合員であるコックらが自分に従わなかったことなどから、同年五月に入って本件当時までに五人のコックを外部から連れてきて、しかもこれらの者に従前からいるコックより上の格付けをしたりして優遇したことなどもあって、調理場内の組合員であるコックらや仕事上関係のある組合員のウェイターらは、同人に憎しみを抱き、両者間には反目、対立関係を生じていた。

前記のように集団が移動している間、被申立人にコックとして勤務する組合員稗田が宮田に対して拳闘の仕種をして暴言を吐き、宮田が応酬していたところ、藤田がこれに介入し、宮田に対し、「お前が来てからキッチンが悪くなった。」、「ろくでもないコックを芋づる式に連れて来やがって。」などと言った。

そして、その後、右集団の中心が通路の中央部付近のフロントオフィス出入口前に至って再び停滞していた際、藤田は、やにわにフロントオフィス出入口扉の前にいた宮田めがけて体当たりをし、不意をつかれた宮田は、木製の右扉に背部及び後頭部を打ちつけ、その結果、後頭部打撲の傷害を負った。

なお、この間、相当数の宿泊客(乗務員ら)がロビーのソファーに座っていたり、客室に入るためにフロントでチェックインの手続をしたりしていた。

4 (七・五事件について)

昭和五五年七月五日午後六時ころ、補助参加人藤田は、ホテル一階男子更衣室(ロッカールーム)において、着替え中の宮田に対し、「告訴なんかしやがって。」と言いながら、同人の靴を蹴った後、五・二一事件についての宮田の告訴について不満を述べながら、同人がかけていた眼鏡のつるに手をかけて外そうとしたり、同人の後頭部を平手で殴打したりし、また、同室を出ようとする宮田の顔面に唾を吐きかけた。

5(一〇・一六事件について)

(一)  阿部哲也は、ホテルのフロント係空港番であり、空港に到着した宿泊予定客等のホテルへの案内や各種手配、連絡等を主たる業務内容とし、ホテルの送迎バスの発車について当該バスのドライバーに指示を与える権限を有するものであり、右ドライバーは右指示に従うべき業務上の義務を負うものであるが、昭和五五年一〇月一六日午後四時ころ、送迎バスを運転して同空港に行っていた補助参加人藤田は、成田空港南ウイング付近の路上において、ノースウェストの乗務員を送迎バスに案内して乗車させたホテル空港番阿部から、右バスを発車させるように指示されたにもかかわらず、これを無視して駐車中の右バスの後部にある乗客の荷物を積むバゲージスペースにそのままとどまってバスを発車させようとしなかった。なお、現場では、右に先立って、前記鈴木がジーパン姿でノースウェストの乗務員らに組合のビラを配っており、その後、同人が藤田による荷物の積込み作業を制服を着用しないで手伝っていたのを見咎めた阿部から注意され、かえって食ってかかるという出来事があった。藤田はそのやりとりに直接関与していないが、現場でそれを見ていたため、阿部に対する反感から、前記のような行動に出たものと推認される。

(二)  前記参加人藤田は、右バスを発車させなかったことに腹を立てた阿部が、バスの前記後部扉を強く閉めたため、阿部の頭部を叩き、また、運転席側の乗降口に向かう途中故意に阿部の足の甲を踏み、「お前、俺の足を踏んだな。」という阿部の声を無視して運転席に乗り込んでバスを発車させた。

6(一一・二一事件について)

補助参加人藤田は、昭和五六年一一月二一日午後一一時過ぎころ、従業員食堂において、女子従業員丸山寿子に暴行を加え、同女に口唇から出血する傷害を負わせた。

三  右事実によれば、補助参加人藤田について被申立人就業規則七二条一項七号、一二号の懲戒事由が認められ、その重大性に鑑みると、本件命令書記載のような諸事情を考慮しても、本件解雇をもって不当労働行為と認めることはできない。

四  そうすると、本件解雇をもって不当労働行為であるとした本件命令には、その適法性について重大な疑義があるから、本件申立ては失当である。

(裁判長裁判官 相良朋紀 裁判官 松本光一郎 裁判官 阿部正幸)

別紙(一) 申立の趣旨

申立人と被申立人間の東京地方裁判所昭和六三年(行ウ)第一一九号不当労働行為救済命令取消請求事件の判決確定に至るまで、申立人が昭和六三年八月二四日被申立人に交付した中労委(不再)第二一号事件にかかる同年七月二〇日付け命令に従い、被申立人は、藤田順一に対して、次の措置を含め、昭和五七年二月一八日付け解雇がなかったものとして取り扱わなければならないとの決定を求める。

イ 原職に復帰させること。

ロ 解雇の日から原職復帰の日までの間同人が受けるはずであった賃金相当額及びこれに年率五分を乗じた額を支払うこと。

申立の理由

一 被申立人は、その雇用する申立人補助参加人藤田順一(申立人補助参加人組合の組合員)を上司への暴行等を理由に、昭和五七年二月一八日付けで解雇した。

二 申立人補助参加人組合及び申立人補助参加人藤田順一は、右解雇が不当労働行為に当たるとして千葉県地方労働委員会に救済を申し立て、同地方労働委員会は、審査の結果、昭和六一年二月一二日付けで別紙(三)のとおりの命令を発したが、被申立人は、右命令を不服として昭和六一年三月一三日申立人に対し再審査を申し立てた(中労委(不再)第二一号事件)。申立人は、右事件を審査した結果、昭和六三年七月二〇日付けで別紙(二)のとおりの命令を発した。

三 被申立人は、右命令を不服として、昭和六三年九月一九日、東京地方裁判所に、その取消しを求める訴訟を提起し、現在東京地方裁判所昭和六三年(行ウ)第一一九号不当労働行為救済命令取消請求事件として審理中である。

四 被申立人は、右命令交付後も、これをまったく無視する態度をとり続けており、申立人補助参加人組合側から右命令の履行を求められているにもかかわらず、現在もこれに応じていない。もし、本件本案訴訟の判決確定に至るまで現在の状況が継続し、申立人の発した右命令の内容が速やかに履行されないならば、申立人補助参加人組合の団結に対する侵害及び申立人補助参加人藤田順一の経済的損失、精神的苦痛が著しいものとなることは明らかであり、ひいては労働組合法の立法精神も没却されることとなる。

五 したがって、申立人は、昭和六三年一一月九日の第一〇四一回公益委員会議において労働組合法二七条八項に規定する緊急命令の申立てをすることを決議した。よって、本件申立てに及んだ次第である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例